『骨折り損の感謝抱き得』

- 69歳スケボートライの結果 -

朝7時おもむろに愛想のないおばちゃんから『おはようございます』と同時にオシボリが配給される、それも紙オシボリだ、かろうじて暖かさを一瞬感じさせられる程度である。

7時30分には待望のお茶の時間である、しかし待望のお茶でも持ってくる人は同じ、今度は『ハイお茶』である、それでもこの境遇の中では有難い

考えてみれば僕は日常的に食べたいものをいつでも食べ、飲みたいものをいつでも自由に飲むことができる環境にあった。

今回のことは何が災いであったのか、スケボーで転んだことが災いではなく、好き勝手自由に飲食にうつつをぬかし暴飲暴食であったことが災いであったのだ、この暴飲暴食に終止符打つための試練であると考え全てを受け入れ愚痴を言わず感謝の念を抱きこの府中恵仁会病院の先生スタッフ及び病室めぐみ3号室の患者達と共に此処に居候し取り敢えず大腿骨骨折という大怪我を治してもらうことにしよう、此処で大事なことはこの身動きが取れない大怪我の中で学ばなければいけないのは、怪我の動機を考え反省する事ではなく、何気ない日常の豊かさに感謝の意をもって生きなければならないのかを教わる事である、顔を洗いに行く、トイレに行く、風呂に入る、今は何もできない立つ事さえ、歩く事さえできないのだから当然のことであろう、そのような中での一枚の紙オシボリ、一杯の温かいお茶なのだ心底有難いのも頷ける、

そうこうしているうちに『食事です』と病院の朝食が目前に運ばれてくるのだ

なんと僕の体に優しい食事なんだろうか、隣のベットの患者が、向かえのベットの患者がズルズルとお粥を啜る音がなんでこんなにぼくの心を揺さぶるのだろうか

身震いするほど揺さぶられる、骨折り損のくたびれもうけなどという例えもあるが

僕は骨折り損の感謝の気持ち抱き得にしよう、

そして其の感謝を皆で分かち合おう。

 


今まで生きてきて僕はさほど不自由に慣れてない分、この状況は理解しがたく難しいが、なきを入れても問題は解決はしない、こんな時は自分に対して最大限のおもてなしをしてみたいと思う
何のために個人株のお金を増やして持っているのか、こんな時にこそ使ったらいいお金であり子孫の為に残すものでもない。
僕が望んだのは穏やかに窓の見える病室で過ごしたいだけである。

救急車で急患として運ばれて来た以上覚悟はしなければいけない事だが、この病院は忙しく個室は無いものは無いのである
また手術も混み合い1週間はベットで釘付けである、病院からすれば別に大したこともないと思うっているはずであり、それが当たり前の事である、僕が心臓病で入院した時は周りにパワーとお金を持ち合わせた方々がおり、無理を承知で順天堂大学病院特別室に入院しました。

僕は思う前会長の美砂のことを個室に入院させて本当に良かった、と。